ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細(しさい)候そうらわず。

ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細(しさい)候そうらわず。

 

新しい年がスタートいたしました。
檀信徒の皆々様にとりまして、よい一年となりますよう祈念申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

1月25日は浄土宗祖法然上人が御往生された日であります。
その御往生される2日前にお弟子である勢観坊源智上人よりの願いによってお記し下されたのが「一枚起請文(いちまいきしょうもん)」であります。

 

冒頭のお言葉は、この一枚起請文の一節であります。
「極楽浄土へ往生するためには、ただひたすらに南無阿弥陀仏とお念仏をお称えし、お念仏で間違いなく往生できるのだと信じて念仏をお称えする他に特別な細かい条件はないのですよ。」と法然上人はお示し下さっています。

 

なぜお念仏をお称えすれば極楽浄土へ往生することができるのでしょうか。

 

それはお念仏が本願のお念仏だからであります。
本願と申しますのは、阿弥陀様が仏となられる前に、法蔵菩薩というお名前でご修行されておりました時に、自らが仏となるにあたって堅く誓われた「願い」の事でございます。

 

では法蔵菩薩様はいったい何を誓われ願ったのでしょうか。

 

それは、この娑婆世界で煩悩を断ち切れず、悩み苦しみ続ける私たちをなんとか救いたいと願ってくださったのであります。
そして、私たちを救うためにはどうすればよいのかと深く悩まれました。そして想像もつかないような長い時間、お考えをめぐらせた末に、
「遙か遠く西の彼方に極楽浄土を建立し、自ら仏となり、すべての人を私の国土、極楽浄土へ救い迎えよう。」
このように誓われ、四十八の願いを建てられたのであります。
これを四十八の本願、四十八願と申します。

 

そして計り知れないほどの長く厳しいご修行の結果、四十八の願いをすべて成就され、極楽浄土を建立され、阿弥陀様となられたのであります。

 

この四十八の本願の中でも、最も重な第十八番目の願いがございます。
その内容は、
「もし私が阿弥陀仏となったならば、わが極楽浄土に往生したいと願い、南無阿弥陀仏とお念仏を称えた全ての者を必ず極楽浄土へ往生させよう。もし一人でも往生できない者がいたならば私は阿弥陀仏とはならない。」
このように誓われた願いであります。

 

阿弥陀様は、今この瞬間も極楽浄土におられます。そして私たちのお念仏の声をお聞きくださり、この世の命終える時には必ず、阿弥陀様自らお迎えに来て下さり、極楽浄土へ往生させていただけるのです。

 

この阿弥陀様の本願を信じて、極楽浄土へ往生したいと願い、お念仏をお称えすれば必ず阿弥陀様が自らお迎えに来てくださり間違いなく極楽浄土に往生させていただくことができるのです。

 

この世の私たちの命は、思う通りにはできない命です。健康でいたいと思っても病気になることもあります。長生きしたいと思っても若くして亡くなってしまうこともあります。また、いつ事故や災害等で命を落とすかも分かりません。
南無阿弥陀仏の南無というのは、帰依しますとい意味で、分かりやすく申しますと、おまかせいたしますということです。つまり南無阿弥陀仏とは、阿弥陀如来様にすべておまかせいたしますという意味が込められております。

 

いつどこでどうなるかわからないこの私たちの命を、阿弥陀如来様におまかせするのです。
そしてこの世の命終わるときには、阿弥陀如来様のお導きで極楽浄土へ往生させていただけるのです。
このことを信じてこの世の生活を生きさせていただきましょう。

 

お念仏を称える他には細かい条件は何もありません。阿弥陀様がお念仏だけを往生の行としてくださったからです。
安心して、ただひたすらにお念仏を申しましょう。

 

今年も当山の修正会では大勢の檀信徒の皆様と共にお念仏をお称えさせて頂きました。大変有難い事でございます。

 

どうか皆様、阿弥陀様の本願を信じ極楽往生を願い、お念仏の生活をおおくりください。

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