来迎寺ロゴ

ホーム  > 取材記事

来迎寺だより

2022年07月22日(金曜日)

取材記事

【来迎寺取材記事】源氏の由緒を辿る

源氏ゆかりの古刹「来迎寺」

源氏、ゆかりの古刹「来迎寺」

2022 年の現在から遡ること 824 年前。

来迎寺は 1198 年(建久 9 年)に明恵高弁上人※1 によって、ここ、現在の千葉県香取市貝塚の地に開山された由緒あるお寺です。

来迎寺の入口から本堂までをつなぐ参道沿いに「源氏三将軍の墓(記念碑)」 がありますが、この記念碑造立の由来を辿ると、明恵高弁上人と源頼朝との間に深い交流があったことがわかりました。

※1【来迎寺開山の明恵高弁上人について】

(1173 年〜1232 年)鎌倉期初頭に活躍した僧侶。教示が哲学的で難しかったため庶⺠にうまく広がらず勢いが弱まっていた華厳宗の勢いを回復させた、華厳宗中興の祖といわれる人物。       ■引用元:http://www.horakuji.com/lecture/myoue/about.htm、 https://www.e-sogi.com/guide/16990/)

来迎寺のあらまし 史料から読み解く、源頼朝との縁

来迎寺に保存されている史料によると※2、「明恵高弁上人」の存在は、単に“来迎寺を開山した人物である“だけに留まらず、来迎寺と「源頼朝」とのつながりを知る上で切っても切り離せない密接な関係がありました。

また、いま現在この貝塚の地にある「来迎寺」には、前身となるお寺(祈祷所)が別の場所にあったと伝えられています。

鎌倉時代初期。1198 年(建久 9 年)に貝塚に移転。明恵高弁上人により来迎 寺開山。時期を同じくして、この年 1198 年(建久9年)に、源頼朝が貝塚(来迎寺)に来たとされる記述も残っております。

鎌倉から鹿島神宮に訪れた頼朝が、休息のために来迎寺に立ち寄った来迎寺を「立派な御堂である」と褒め称えてくれた、との口伝もあるそうです。

※2【来迎寺の歴史とルーツ(要約)】

■来迎寺に存在する2つの歴史
1)浄土宗ではない「来迎寺」時代
2)浄土宗「来迎寺」時代(貝塚に移転後)

■大元のルーツ
来迎寺の前身(浄土宗ではない来迎寺。貝塚の前の時代の話)

その昔、神代村(現:東庄町平山地区)に、釈迦堂というお堂があった。平安時代後期、1088 年(寛治2年)に、上総介常将*という武将が作ったもので、これが、原始的なはじまりとなる。
<*上総介常将は、源頼義に従い軍功のあった千葉氏の初代とされる人物です>

それを、貝塚村(現:来迎寺がある貝塚地区)に、1198年(建久9年)に移転したところから 来迎寺の歴史がスタートします。

<来迎寺開山の年に、源頼朝が参拝されたとされる日本三大神宮のひとつである「鹿島神宮」は、 来迎寺のほぼ真北(20km/車で40分の距離)にあります>

「源氏将軍三公の墓(記念碑)」が造られた目的とは

鹿島神宮参拝の際に来迎寺に立ち寄った頼朝が休憩を終え帰る際、明恵高弁上 人は貝塚村の境目あたりまでお見送りに同行。そこで頼朝の無事を願い、十念※3(お念仏を10回)称え、お別れをした、とのエピソードも残されています。

その際に、明恵高弁上人は、頼朝から衣を授かります。 そしてその衣を袈裟(けさ)に仕立て直し、身につけていたとのことです。

明恵高弁上人が亡くなった後、記録上300年の空白期間があるのですが、初代住職がお寺に残っていた袈裟を見つけます。

由来を知った初代住職は、この来迎寺に源頼朝が来た過去を知り、1577年(天正5年)に「源氏将軍三公の供養棟(記念碑)」をつくり、袈裟を埋めた。

これが、源氏記念碑造立の由縁です。

※3

明恵高弁上人が頼朝の無事を祈ってお念仏を称えた場所、いまでも、重念(じゅうねん)という地名として、正式な地名ではないですが、いまでも小字として残っています。

■「源氏三将軍の墓(記念碑)」は、来迎寺の参道沿いにあります

■解説板

■石碑の下には、お骨ではなく袈裟がおさめられています
■石碑を近くで見ると結構古い石であることがわかり、歴史の深みを感じます

そもそもなぜ頼朝が貝塚の来迎寺に?

ところで、なぜ、頼朝はこの来迎寺を訪れたのでしょうか? 少し気になりませんか?

ここからは余談になりますが、その謎を解く鍵は、歴史と地理を調べるとひとつの「仮説」が浮かび上がってきそうです。

現住職にお話を伺ったところ、昔、この地域一帯は海だったとのこと。小さな 島が点在していたとのことですので、恐らく、遠征で通ることのできる陸地は、そう多くはなかったのではということです。

来迎寺があるこの貝塚地区周辺も海でした。 たしかに現在の姿を見てみても、その形跡がちゃんと観測できます。

豊かな森林に囲まれた来迎寺の参道は一般道よりも推定5〜6mほども深く、地面には至る所に大量の貝殻が埋まっています。

まさにここが海だったのだと想像すると、感慨深いです。

・源頼朝が憩いの場として訪れた「来迎寺」

・貝塚の地名の由来を目視できる参道がある「来迎寺」

この2つをとっても歴史をめいいっぱい感じられるお寺でありました。

■来迎寺の参道入口

■階段を降りると…

■豊かな森林に囲まれつつ開放的で不思議な感覚を覚える異空間が広がっています

■地面には大量の貝殻!

■土に埋まっている貝殻の破片がいっぱい

■そのまんまの形をした立体的な貝殻も残っている


<取材を終えて>

「そもそもなぜ頼朝がこの来迎寺に?」という疑問があり、その謎が少しでも 解明できればいいな、という気持ちで臨んだ今回の取材。歴史書物、住職の話、地理的な特性などを辿っていくと、それぞれ単一だった情報が、すべてひとつにリンクしている!という驚きがあり、結果的に、期待以上の「由緒ある 来迎寺」を体感することとなりました。

この地域には日本三大神宮※4のうちの2つ「鹿島神宮」と「香取神宮」が存在しています。この二つは両社ともに「戦の神様」が祀られていますが、将軍で ある頼朝が戦の前にこの神社を訪れていた可能性を考えることはごく自然であり、

また、来迎寺を貝塚に移して開山した年に、源頼朝が来迎寺に訪れているという偶然に、興味がひきつけられます。

親交のあった明恵高弁上人を訪ねてきたのか、それとも、来迎寺を気に入った 源頼朝が、ご自身と親交のある「明恵高弁上人」を、開山の祖とすることで、 その称える気持ちを残してくれたのか…。真実は不明ですが、想像する余地が あるこの伝承にはロマンがあります。

そんな歴史的ロマンに思いを馳せに、また、現在、大河ドラマで放送されている「鎌倉殿の 13 人」の空気感を味わいに、ぜひ、来迎寺へおこしください。

※4:平安時代の歴史書物「延喜式神名帳」の説では、日本三大神宮は、「伊勢神宮」、「鹿島神宮」、「香取神宮」の3つが掲載されている。

(取材日:2022年6月19日)

(取材・編集・執筆/Communication Smoothie)


広報担当(取材・執筆者

来迎寺の広報活動のお手伝いをしているコミュニケーションスムージーです。広報業務(情報発信)代行業、広告・宣伝物のデザイン業を行っています。