来迎寺ロゴ

ホーム  > 浄土宗のお説教

来迎寺だより

浄土宗のお説教

会者定離は常の習い、今始めたるにあらず。何ぞ深く歎かんや。宿縁空しからずば同一蓮に座せん

如来大慈悲哀愍護念 同称十念

無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義

謹み敬って拝読し奉る
元祖大師法然上人 御法語にのたまわく
会者定離は常の習い、今始めたるにあらず。何ぞ深く歎かんや。宿縁空しからずば同一蓮に座せん。
十念

皆様こんにちは。
この度は当山にお参りいただきありがとうございます。
私は、当山住職の笠島崇信と申します。
どうぞお楽な姿勢で、お聞き頂ければと思います。

3月、4月といえば別れや出会いの季節であります。
出会いがあれば別れがありますし、新たな出会いもあります。
別れがあれば再会もあります。別れに寂しさはつきものですが、再会の楽しみや喜びはまた格別なものでありますね。

3月4月の時期だけではなく、私たちの人生には常に出会いと別れがいつも付きまとっています。

生きている方との別れだけではありません。
親しい方との「死に別れ」もあります。関係が親しい方ほど、寂しさと悲しみが深いものです。

今生の別れほどつらいものはありません。
仏教では、この世の根本的な人間の苦しみとして「四苦八苦(しくはっく)」というものを説いています。
その中に、「愛別離苦(あいべつりく)」というものがあります。
これは、愛する人と別離する苦しみのことです。この別離というのは、今生の別れということであります。

生きている方との別れならば、この世でまた会うことはできます。
でも、亡くなられた方との再会はこの世ではかないません。

人間にはいろいろな苦しみがあると仏教では説いていますが、死に別れはこの世の人間の苦しみの最も大きいものとして説いているんですね。時代が変わってもこのことは変わりません。

でもどうぞ安心してください。
これよりは、「亡き方とまた再会できる、必ず会える」という浄土宗のお念仏の教えをお話していきたいと思います。

さきほど冒頭に拝読させていただきましたお言葉でございますが、これは鎌倉時代、今から800年以上前に浄土宗をお開きになられた法然上人のお言葉の一節であります。
もう一度拝読をさせていただきます。

「会者定離(えしゃじょうり)は常の習い、今始めたるにあらず。何ぞ深く歎かんや。宿縁(しゅくえん)空(むな)しからずば同一蓮に座せん」

会者定離とは、会う人とは必ず別れなければならないという意味ですね。
このお言葉の内容をお話しますと、
「この世で会う人とは必ず別れがやってきます。それはこの世の定めであって、なにも今に始まったことではありません。ですから、どうか深く歎かないでください。なぜなら、この世でお念仏とのご縁をしっかり結び、お念仏を称えた人は、必ず阿弥陀さまのお迎えにより、極楽浄土という何の苦しみもないすばらしいお浄土へ往生させていただくことができます。そして私と同じ極楽浄土に咲いている蓮のうてな(台座)に座ることができるのです。」
という内容のお言葉であります。

一言で言いますと、「お念仏をお称えすれば極楽浄土で再会できますよ」ということです。

このお言葉は法然上人が、時の権力者であった九条兼実公という方に詠まれたお歌です。
このお言葉の意味は今申し上げましたが、このお歌がどのような場面で詠まれたかというところがとても大事なところです。ですので、少しお時間をいただいてお話していきたいと思います。

このお言葉が詠まれた時、法然上人は75歳、九条兼実は57歳でした。
年の差は18才ということで、当時でいえば親子といえるほどの年齢差でございます。

九条兼実についてお話しますと、天皇を補佐し、政治に決定を下すことができる関白という大変重要な仕事についていました。今で言うと総理大臣よりも重要な地位といえるかもしれません。まさにこの世の地位や名誉を存分に得ていた方です。

しかしその一方で、その生涯を見ますと、大変辛く苦しいものだったのではないかと思われるのであります。

まず、長男を突然の病により22歳の若さで亡くされてしまいます。さらに、自身も権力争いの末に関白という地位を失ってしまいます。

愛する長男と地位を失ってしまった悲しみ落胆は大変なものだったのでしょう。
このような中で、兼実は法然上人と出会い、お念仏とのご縁を結んだのでした。最初は何かにすがる思いだったのかもしれません。。。

しかし、さらなる苦しみが兼実を襲います。
長男に続き、最愛の夫人を病により亡くします。さらには、先立った長男に代わり跡を継がせていた次男までもが38歳でこの世を去ってしまうのです。

長男のみならず、妻、次男までも、愛する家族が次から次へと先立ってしまうのです。
順番でいけば父親の兼実が一番最初に亡くなるはずでありますが、人の命もまた思うようにならないものです。兼実は、本当にこの世の苦しみを心の底から感じ取ったことでありましょう。

法然上人は、そんな苦しみの極みにいる兼実に対し、「南無阿弥陀仏と声に出してお念仏をお称えすれば、必ず亡き人、愛しい方々は阿弥陀様のお迎えにより極楽浄土へ往き生まれさせていただけるのですよ。南無阿弥陀仏のお念仏は阿弥陀様のご本願だからです。どうぞ安心してください。ご長男様、ご次男様、奥様の為にもしっかりお念仏を称えてご回向いたしましょう。」 とお示し下さったのであります。

今申しました「本願」というお言葉です。
本願とは、本の願いと書きます。

本願とは、阿弥陀様が仏様となられる前に、法蔵菩薩様というお名前でご修行されていた時に堅く誓い願われた願いのことであります。

「私たちにはこの世において必ず別れなければならない苦しみがある、この世のことは思い通りにならない。そんな世の中で苦しんでいる者たちを何とかして救いたい。そして、この世の命終わった時は、全ての者を、苦しみや欲や誘惑などなく清らかで、仏になる為の修行を心置きなくできる場所へ救い取りたい。何としてでも救いたい!何としてでも!」
と堅くお誓いになられて、想像することもできないほどの長い時間、思い悩まれたのであります。
そして仏様になるために四十八の願いをお建てになるのでありますね。仏様となる為の条件とでもいえましょうか。

そしてこの願いを 四十八の本願、四十八願と申します。

そして法蔵菩薩様は仏様となるために、「この四十八の願い一つ一つをすべて達成させるのだ。もしも、願った通りにできないのであれば、私は仏にはならない。」とお誓いになられ、これまた計り知れないほどの長く厳しいご修行の道に入られたのであります。

そして、ついに四十八の願いすべてを成し遂げられ、遙か西の彼方に極楽浄土を建てられ金色に輝く阿弥陀様となられたのであります。

この四十八の本願の中でも、最も大切な第十八番目の願いがございます。それはこのような願いであります。
「もし私が仏となったならば、あらゆる世界の者が、心から私の極楽浄土に往生したいと願い、南無阿弥陀仏の念仏を称え、一人でも往生することができないのであれば、私は仏とはならない。」
このように堅く誓われたのです。

これが四十八ある中の第十八番目の本願であります。念仏往生の願いが込められていることから「念仏往生の願」と申します。
そして今現にこの瞬間も、阿弥陀様は念仏往生の願に誓われた通り、お念仏を称えたすべての人を一人ももらすことなく極楽浄土へとお救いくださっているのです。

お念仏を称えれば、極楽浄土に 往生させていただけるという事は間違いないのです。
これが浄土宗の有難い本願のお念仏のみ教えであります。

兼実は、法然上人のお導きでこの浄土宗のお念仏の道を励まれていくのでありました。
しかしまた、兼実にとって追い打ちをかけるような大変な出来事が起こってしまうのです。

法然上人のお弟子のうちの二人がお念仏を広めていたところ、上皇にお仕えしていた女性が出家してしまうという事件が起こったのです。

このことが上皇の逆鱗に触れることとなり、お弟子二人は死罪とさせられてしまうのです。
そしてお師匠様である法然上人にも責任の目が向けられ、四国へ行きなさいという命令が下されてしまうのです。

京都から四国ですから、今の時代で考えれば何ということはありません。今なら日帰り観光のような距離です。しかし、交通網などない時代です。しかも今のように電話メールなどももちろんございませんから、連絡を取り合うなんてこともできません。

さらには、法然上人もご高齢ですし、兼実自身も健康とはいえない状況です。

つらく悲しいことですが、この別れがおそらく今生の別れとなってしまうことは、法然上人と兼実も分かったのではないでしょうか。

ここにいたって、この時の兼実の心境はいかほどだったのか本当に思いやられるのであります。   

名誉や地位を失い、妻や子ども達という愛する家族にも先立たれ、挙句の果てには心の底からお慕いしていた法然上人ともお別れをしなければいけない。兼実は本当に辛かった事でしょう。

そして法然上人も、大事なかわいいお弟子様を死罪に処せられたうえに高齢の身で住み慣れた京都を離れ、親しい方々ともお別れをしなければいけない。
この時のお二人の心境は想像することもできないくらい寂しく悲しいものであったと思うのであります。

このお二人にとっての極限ともいえる状況であるこの時に、法然上人は嘆き悲しむ兼実公に、あるお言葉を与えられたのであります。そのお言葉こそが、冒頭に拝読させて頂いた法然上人のお言葉なのでございます。

「会者定離は常の習い、今始めたるにあらず。何ぞ深く歎かんや。宿縁空しからずば同一蓮に座せん」

今一度内容をお話しますと、「この世で会う人とは必ず別れがやってきます。それはこの世の定めであって、なにも今に始まったことではありません。ですから、どうか深く歎かないでください。なぜなら、この世でお念仏とのご縁をしっかり結び、お念仏を称えた人は、必ず阿弥陀さまのお迎えにより、極楽浄土という何の苦しみもないすばらしいお浄土へ往生させていただくことができます。そして私と同じ極楽浄土に咲いている蓮のうてな(台座)に座ることができるのです。」

法然上人は兼実公に「ご長男、奥さん、ご次男と愛する家族に次から次へと先立たれてしまったあなただからこそ、この会者定離という現実を心から感じられたことでしょう。私(法然上人)とあなた(兼実)は、こうして阿弥陀様のご本願である南無阿弥陀仏のお念仏のご縁によって結ばせて頂いたのです。例えこの世で別れ離れていったとしても、お念仏をお称えすれば必ず極楽浄土で再会できましょう。どうかその時まで、お互いにお念仏を称えて力強く生きていきましょう。」
このように法然上人は兼実を励ましたのです。

法然上人が京都を離れた一ヶ月後、九条兼実公は病により57歳で極楽浄土へと参られたのであります。法然上人のお励ましの通り、最後までしっかりと力強くお念仏をお称えされたことと思います。兼実は極楽浄土で法然上人をお待ちする身となられたのあります。

浄土宗にはこのようなお歌がございます。

「先だたば、送るる人を待ちやせん。花のうてなに、なかば残して」

これは浄土宗のお念仏の教えをよく現したお歌です。
極楽浄土へ先立つ方の立場で詠まれたお歌であります。

この意味をお話ししますと、
「もし私が先にこの世の命を終えて極楽浄土へと往生させていただいたならば、後からいらっしゃるあなたのことを極楽浄土でお待ちしています。再びあなたと会える事を心待ちにしています。蓮の花の台座の半分を残しておきますね。」
というお歌でございます。

九条兼実公は、まさに法然上人に対してそのようなお気持ちで極楽浄土へと参られたことと思います。

法然上人や兼実だけのお話ではありません。
この私たちも、お念仏をお称えすれば極楽浄土へ往生させて頂くことができるのです。
皆様にも、すでに先立たれた大切な方がいらっしゃることと思います。そうした方々とも、極楽浄土で必ず出会い再会を果たす事ができるのが、阿弥陀様の本願のお念仏のみ教えなのであります。誠に有難いみ教えでございます。

愛する方を亡くされ、悲嘆の中にある方への慰め励ましというのは時に大変難しいことでありますが、阿弥陀様の極楽浄土は大変有難くお伝えできるのであります。

私のお寺の檀家様に、ご病気で24歳の一人娘さんを亡くされたMさんご夫婦がいらっしゃいます。

娘さんのお名前はアユミさん(仮名)といいます。

訃報をいただき、ご両親お二人でお寺にお越しになられ、葬儀のご相談をさせていただきました。
お父様は気丈にお話をされましたが、お母様はまだ受け入れられず消沈されており、この時は一言もお話することはできませんでした。

娘さんは10代のころからご病気をされていたそうですが、大変明るい娘さんで、周囲が元気をもらえるような方だったそうです。

重い病気でしたので、いつかこの日がくることは覚悟されていたそうではございますが、亡くなった時の悲しさつらさはやはり大変なことであります。

お通夜ご葬儀の遺影は成人式の時の振袖のお写真でありました。着飾った若く美しい笑顔のアユミさまのお写真が、より一層悲しみを増すように感じられたことであります。

法話は、私なりに精一杯阿弥陀様の極楽浄土をお取次ぎさせていただきました。
「この世の私たちの命はまったく思うようにできない命であり、年老いて亡くなる方、若く亡くなる方もいます。そして病気で亡くなる方もいれば事故や災害で亡くなる方もいらっしゃる世の中であります。
このように思うようにできない私たちの命を、阿弥陀様は極楽浄土へと平等にお救いくださるのです。
アユミさんは、このたび阿弥陀様のお導きで極楽浄土へと往生をいただきました。こののちは、ご両親様はじめ、ご友人の皆様、ご縁のある皆様のことを、極楽浄土の蓮の上からお見守りくださいます。
お念仏をお称えいただければ、私たちもアユミさんのいらっしゃる極楽浄土へと参らせていただくことがかなうのです。どうぞお念仏をお称えください。」

このようにお伝えさせていただいたことでございます。

その後、四十九日、新盆、一周忌とお勤めをさせていただきましたが、まだお母様の悲しみは深いご様子でございました。

そして先日、7回忌のお勤めをさせていただきましたところ、大変力強いお念仏を添えてくださった方がいらっしゃいました。
それはお母様でした。

お勤めの後、初めてお母様がお話くださいました。微笑みながら、うつむきながらですがこのようにおっしゃいました。
「アユミは本当に明るい子でした。自分が病気なのに私たちのことを心配してくれたんです。友達にも優しく慕われていて、大勢の友達が葬儀に来てくれました。
親より先に行ってしまったことは残念でなりませんが、極楽浄土のお話を聞いて、そこに娘が元気でいると思うと安心します。毎日お念仏をお称えしています。そこでまた娘に会えるんですね。どんな話をしようかなぁ。」

娘さんを思って、心を込めてお念仏を称えて下さるそのお姿がとても尊く有難いことでありました。
そして、阿弥陀様のご本願と極楽浄土の有難さを改めて受け止めさせていただいたことでございます。

鎌倉時代、時の権力と地位や名誉や財産を存分に得た九条兼実公でさえも、奥様や、我が子に先立たれてこの世の苦しみを感じられたのです。
法然上人もそうでございます。かわいがっていたお弟子様を失い、親子のように親しくされていた兼実公に先立たれてしまったのです。法然上人でさえもこの世の悲しみつらさを感じられたはずであります。

Mさんご夫婦が娘さんを亡くされた悲しみ、そして私たちも大切な方を亡くしたときに感じる悲しみも、法然上人や兼実が感じたこの世の苦しみと同じものなのです。

鎌倉時代と今の時代と時は違えども、この世の人の苦しみが異なるということはありません。もちろん、時代によって阿弥陀様のご本願や極楽浄土が変わることもありません。先立つ場所と時間は違えども、行く場所はいついかなる時でも同じ極楽浄土なのであります。

皆様も、今は亡き大切な方に向けてお念仏をお称えいただき、そしてご自身も極楽往生を願い大切な方とまた極楽浄土でお会いできますことを願って、お念仏を申してまいりましょう。

それでは、共々に合掌をし十遍のお念仏をお称えいたしまして、この度の法話とさせて頂きます。

同称十念