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来迎寺だより

浄土宗のお説教

阿弥陀仏は不取正覚の言を成就して、現に彼の国にましませば、定んで命終の時は来迎したまわん。

如来大慈悲哀愍護念 同称十念

無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義

謹み敬って拝読し奉る
元祖大師法然上人 御法語にのたまわく
阿弥陀仏は不取正覚の言を成就して、現に彼の国にましませば、定んで命終の時は来迎したまわん。
十念

皆様こんにちは。

この度は当山へお参り頂きまして大変有り難い事でございます。

私は当山来迎寺の住職を勤めさせていただいております笠島崇信と申します。
しばらくの間ではございますがお念仏のみ教えについてお取り次ぎをさせて頂きます。
どうぞお楽な姿勢にてお聞きいただけましたら幸いでございます。

お寺に生活しておりますと、毎日多くの郵便物が届きます。お寺宛の郵便はもちろんですけれども、個人的なもの多くございますね。一つ一つ開封して中身を確認していくのもなかなか大変だったりするわけでございますけれども、その中にご機嫌伺いの手書きハガキなどがあったりしますと、非常に新鮮で嬉しいですよね。

かくいう私自身も手書きのものを出すことはほとんどないのでございますが。。。パソコンや、スマートフォンでのメールで済ませてしまうことが多いですし、身近な知り合いでしたらLINEですね。お使いの方いらっしゃいますか?
便利と言えばそうなんですが、直筆の文字の温もりはやはりいいものでございます。

もちろん、法然上人の鎌倉時代にはメールなどありません。物事の動向や様子を知らせるお手紙のようなものを「消息」と言っておりました。
先ほど冒頭に拝読いたしましたお言葉は、法然上人が黒田の上人という方に宛てた消息、お手紙の中の一説であります。
もう一度拝読させて頂きます。

阿弥陀仏は不取正覚の言を成就して、現に彼の国にましませば、定んで命終の時は来迎したまわん。

この意味をお話しいたしますと、
阿弥陀様は、四十八の本願が叶わない限りは、仏とはならない、という誓いの言葉を成就して今現に極楽浄土におられます。この世の命の終わる時には必ず極楽浄土よりお迎え下さるのです。
このような意味でございます。

四十八の本願と申しますのは、
阿弥陀様が仏となられる前に、法蔵菩薩というお名前でご修行されておりました時に、自らが仏となるにあたって堅く誓われた「願い」の事でございます。

では、法蔵菩薩様はいったい何を誓われ願ったのでしょうか。

それは、この娑婆世界で煩悩を断ち切れず、悩み苦しみ続ける私たちをなんとか救いたいと願ってくださったのであります。

そして、私たちを救うためにはどうすればよいのかと深く悩まれました。そして想像もつかないような長い時間、お考えをめぐらせた末に、

遙か遠く西の彼方に極楽浄土を建立し、自ら仏となり、すべての人を私の国土、極楽浄土へ救い迎えよう。

このように誓われ、四十八の願いを建てられたのであります。
これを四十八の本願、四十八願と申します。

この四十八願の一つ一つには「不取正覚」という言葉がございます。「正覚を取らじ」ということです。
これは、この願いが成就できないのであれば私は仏とはならないという堅いお誓いでございます。

そして計り知れないほどの長く厳しいご修行の結果、四十八の願いをすべて成就され、極楽浄土を建立され、阿弥陀様となられたのであります。

そして、この四十八の本願の中でも、最も重要な第十八番目の願いがございます。
その内容を申しますと、
「もし私が阿弥陀仏となったならば、わが極楽浄土に往生したいと願い、南無阿弥陀仏とお念仏を称えた全ての者を必ず極楽浄土へ往生させよう。
もし一人でも往生できない者がいたならば私は阿弥陀仏とはならない。」

このように誓われた願いであります。

南無阿弥陀仏の南無というのは「どうかお助け下さい」という意味であります。つまり南無阿弥陀仏とは、阿弥陀様どうかお助け下さい、という意味が込められております。

阿弥陀様は、今この瞬間も極楽浄土におられます。そして私たちのお念仏の声をお聞きくださり、この世の命終える時には必ず、阿弥陀様自らお迎えに来て下さり、極楽浄土へ往生させていただけるのです。

この阿弥陀様自らお迎えに来てくださるということ、これを「来迎」と申します。
この阿弥陀様の来迎があるからこそ、私たちは迷わずにお浄土へ参ることができるのでございます。

目的とする場所から、お迎えにきていただける。これは、目的地に行く一番確実な方法であります。

これからの時節は、旅行に最適な季節でございますね。
ただ、旅行というのはどうしても見知らぬ土地を観光するわけですから、無事に目的地までたどりつけるかどうか、または道中のトラブルなども心配されるものですね。
まして海外旅行ともなりますと、それが一番の心配になるわけですね。

例えば空港からホテルに行きたいと思っても、地図もないし、言葉もよくわからない。
対しまして、ホテルから迎えの人が来ている、
どっちが安心でしょうか?

やはり、その場所に詳しい方が道案内をしてくれた方が安心ですよね。

このように、阿弥陀さまの来迎は、私たちがこの世の命を終えるときには、わざわざお浄土からお迎えに来てくださり、お浄土へとお連れくださるのです。

この阿弥陀さまの来迎があるからこそ、それを見送る方々も安心して先立つ方を見送ることができるのではないでしょうか。

阿弥陀様がお建てくださった極楽浄土は、必ず亡き方とまたお会いすることのできるお浄土です。このことは、大切な方を亡くした私たちにとってどれほど有り難いことでしょうか。

平成27年は戦後70年の年でございました。

このときに、九段の靖国神社をお参りいたしましたときに、遊就館という記念館では「英霊に贈る手紙」という展示が行われておりました。
英霊と申しますのは、ご承知と存じますが、戦地で亡くなられた方々でございます。
この英霊のご遺族が、戦地で亡くなられた父親や夫を想い書かれた手紙でございます。

遊就館では通常、戦地から日本にいる家族にあてた手紙、遺書が展示されているのですが、この時はこれに遺族から英霊へのお手紙、これも消息でございますね、、、これが並べて展示されておりました。

英霊から家族に宛てたお手紙には、本当にいろいろな思いが書かれております。戦地で命を失うかもしれない大変な状況にありながらも、故郷にいる家族を気遣い、自分亡き後も悲しまないようにとの心配りの文面でございます。

この中に、ある英霊とその娘さんのお手紙がございました。英霊は、当時生まれたばかりの娘さんを抱くこともできずに、31歳で戦地で亡くなった方でございます。英霊のお手紙には、生まれた子への思いと「私は念仏の功徳で亡くなったら極楽浄土へ参ります」というお言葉が記されておりました。

これに対する娘さんからのお手紙でございます。娘さんは70歳になられております。この世で会うことも抱いてもらうこともできなかったお父様への思いと、そして一言このような言葉が添えられておりました。

「お父様の年をとっくに越えたこの年でおかしいですけど、私もそちらに行った時には、この世でしてもらえなかった、たかいたかいをしてくださいね。。。」

これを読んだときに、込み上げるものを抑えることができませんでした。

70歳の娘さんが31歳で亡くなられたお父様に「たかいたかいをしてくださいね」というお気持ちに対する感動ももちろんそうでございます。

でも一番は、間違いなくお浄土でお父様とお会いし「たかいたかい」をしていただける阿弥陀様の極楽浄土の有難さを改めて思い返したからでございます。

この私たちも、いずれこの世の命を終えるこの身でございます。日々、お念仏をお称えすれば、阿弥陀様のお誓いの通り、必ず来迎をいただき、ご先祖さまや先に待つ方のいらっしゃる極楽浄土へと参らせていただくことができるのです。

どうぞ、その時まで日々お念仏をお称えし、この世を力強く精一杯、生きさせていただきましょう。

それでは、皆さま最後に合掌をしていただきまして、十遍のお念仏をご一緒にお称えください。

如来大慈悲哀愍護念
同称十念