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2024年05月27日(月曜日)
来迎寺だより企画記事「住職に聞く浄土宗シリーズ(全6回)」後編がスタートしました。
第4回目から第6回目までは、現代社会を担う現役世代向けの実践編として編集した記事です。
一問一答形式で、お届けします。
■ 住職プロフィール
来迎寺住職。日本スリランカ仏教センター蘭華寺理事長。
現代社会では、経済のグローバリゼーション、テクノロジーの進化、そして個人の精神的な不安が増大しています。このような中で、浄土宗の教えはどのように現代人、特に若者に向けた精神的な支柱を提供しているのでしょうか。住職に話を聞きました。
<目次>
浄土宗が現代社会で果たす役割についてお話しいただけますか?
浄土宗は、いまから850年前の鎌倉時代に法然上人によって開かれました。浄土宗の教えは当時の人々の「心の拠り所」となりました。浄土宗の教えは今の時代にも「心の拠り所」となります。なぜなら、私たちの心と身体のシステムは鎌倉時代も現代も変わることがないからです。
法然上人は、人々が直面する日々のストレスや倫理的なジレンマに対して深い洞察をされました。その法然上人が、膨大な経典の中から見出された教えが浄土宗のお念仏の教えなのです。現代のような経済危機や社会不安の時代においても、浄土宗の教えが心の拠り所となると信じています。
特に若い世代に対して浄土宗がどのような意義を持つと考えていますか?
現代社会は、価値観の多様性やキャリアの不確実性が色濃く反映された世界になってい ます。浄土宗の教えは、南無阿弥陀仏のお念仏を称えることで、この世の命終わる時に阿弥陀如来のお救いをいただき、極楽浄土へ往生するというものです。浄土宗では、このことを確実絶対的なものとして受け取っています。
不確実、多様性、変化に満ちた世の中で、浄土宗のお念仏の教えは普遍的なものとして意義を持つと考えています。
「設我得仏、十方衆生、至心信楽欲生我国、乃至十念、若不生者不取正覚」
引用元:『無量寿経(むりょうじゅきょう)』
意訳
「もし私が仏となったならば、私の極楽浄土に往生したいと願い、南無阿弥陀仏とお念仏を称えた全ての者を、必ず極楽浄土へ往生させよう。もし一人でも往生できない者がいたならば私は仏とはならない。」
これは、浄土宗の『無量寿経(むりょうじゅきょう)』という経典に説かれている内容です。浄土宗のお念仏の教えが成立する根拠となる重要な一節です。
私たちは、宗派を問わずすべての経典は仏であるお釈迦様が説かれた真実のものとして受け取っています。
この一節は、阿弥陀如来が菩薩のご修行時代に私たちを救うためにお誓いになられた四十八の願いのうち、第十八番目の願いです。
この願いのとおり、私たちは南無阿弥陀仏のお念仏をお称えすれば、必ず極楽浄土へ往生させていただくことができます。
法然上人は、いついかなる時もお念仏をお称えすることの大切さを説かれました。現代でも、阿弥陀如来のお救いを信じてお念仏をお称えすることは、「自己を見つめ直す機会」を提供し、内面的な充実を促す精神的な指針ともなるのではないでしょうか。
現代社会では、経済のグローバリゼーション、テクノロジーの進化、そして個人の精神的な不安が増大しています。そんな中でも新しいことに挑戦するとき、または、挑戦せざるを得ないときに、浄土宗ではどのような解決策を提供できますか?
現代を生きる上では、仕事やビジネスをしなければなりません。まずは、自身の仕事に邁進することは必要なことです。しかし、ビジネス界で遭遇する人には、様々な問題や困難が待ち構えます。例えば、会社や組織の中に埋没してしまい、個性が発揮しずらいという問題への対処法として経典を紐解いてみましょう。浄土宗の経典に次のような教えがありますのでご紹介します。
「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔 ~中略~ 極楽国土成就如是功徳荘厳」
引用元:『阿弥陀経(あみだきょう)』
意訳
「青色の蓮華は青い光を放ち、黄色の蓮華は黄色い光を放ち、赤色の蓮華は赤い光を放ち、白色の蓮華は白い光を放っている。それらはえも言われぬほど清らかで芳しい。
~中略~
阿弥陀仏のおられる極楽世界は、このような仏国としての理想的な環境が整っている。」
参考 浄土宗出版『現代語訳 浄土三部経』
この教えを、現代に生きる私たちの個性の尊重として受け取らせていただくことができます。私たちの個性や性格などは、生まれ持った要素が大きいもので、各自の考えにおいて修正できる部分があればそうするのも良いと思いますが、生まれもった自分というのもまた尊重されるべきことです。会社や組織に所属している以上は、もちろんそのルールによって活動しなければなりませんが、それぞれの個性や得意分野を可能な範囲で生かすことが、結果的にビジネスや様々な場面においても有効な面があると思います。
若者が感じる漠然とした現代社会のストレスやプレッシャーに対して、浄土宗の教えが提供する心の安定方法は何ですか?
この世は、不確実、理不尽、無常な世界です。不安やストレスも尽きることはありません。これはこの世では誰でもが持っているものです。ですので、ストレスやプレッシャーからの解放を目指すことは現実的ではありません。一時的なリラックス効果をもたらすものとして、瞑想や読経、ヨガなどのフィットネスや趣味などを各自の趣向のもとで行うことも良いでしょう。
浄土宗の立場で言うのであれば、やはりお念仏の実践が最たるものです。ただし、浄土宗のお念仏は、ストレスやプレッシャーからの解放を目指すものではありません。たしかにお念仏にそいう効果がある可能性はあります。浄土宗では、そういったものは求めずして得られるものと考えます。
法然上人が説かれた浄土宗のお念仏は、思うようにならないこの世での悟りや心の平穏を目指すのではなく、いずれ阿弥陀如来のお救いをいただき極楽浄土へ往生することに視点を置きます。それを願ってお念仏をお称えしていく中で、副次的に得られるリラックス効果や心の安定を感じることができれば有り難いことです。
最後に、住職から若い世代に向けて力強いメッセージをお願いします!
この世を生きていく以上、仕事やいろいろな事をしなくてはなりません。努力したり頑張ることはもちろん大切なことです。しかし、この世は不確実、理不尽、無常に満ちた世界であり、努力が実を結ぶと言い切ることはできません。この世では、常に幸福な状態でいることもできません。私たちの力では思うようにできない世界なのです。まずは、そのことを理解することです。
阿弥陀如来は、そんな世界にいる私たちを救うために極楽浄土をお建てくださいました。そして、私たちがそこへお救いいただくために南無阿弥陀仏のお念仏をご用意くださいました。だからこそ、私たちは素直に阿弥陀如来のお救いを信じてお念仏をお称えすれば良いのです。阿弥陀如来やご先祖さまが見守ってくださっていると信じることで、力が湧くこともあります。
それぞれの立場で、そのままの姿でお念仏をお称えしながら、この世の役目を果たしていきましょう!
(終)
※第五回「浄土宗の教え」は、令和6年7月公開予定です。