当山来迎寺は源氏、徳川家ゆかりの古刹です。
寛治2年(1088)、千葉常将の建立する所にして神代村平山区字夏海(現香取郡東庄町平山)にあった釈迦堂を、建久9年(1198)、当地に移転し明恵高弁上人を請うて開山したとされます。
明恵高弁上人【承安3年(1173)~貞永元年(1232)】は、紀州(和歌山県)有田郡出身で、京都栂尾に高山寺を開創し、華厳研究で著名な学僧です。明恵上人は時の北條泰時・源頼朝を始め多数の武家衆に教化されたといいます。
伝承によると、源頼朝が鹿島神宮参拝の折り、来迎寺に憩の場を構えたと伝えています。このとき、頼朝より明恵上人に御狩衣が授けられ、上人はこれを袈裟に仕立てて愛用したと伝えます。古来より来迎寺では毎年7月14日に源頼朝の施餓鬼法要が勤められたと伝えています。来迎寺境内には源頼朝・源頼家・源実朝の三代将軍の供養塔があることからも、来迎寺と源氏将軍の因縁の深さを想い起します。