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来迎寺だより

2026年01月21日(水曜日)

【来迎寺だより】企画記事「住職と考える寺子屋〜SNS全盛時代の学び〜」


現代社会は、スマートフォン一つで世界中の情報に触れられ、SNSを通じて誰とでも簡単につながれる時代です。これは間違いなく、私たちの暮らしを豊かにしてくれました。その一方で、「本当に大切な学びとは何だろう」「人と人とのつながりとは何だろう」と考させられる瞬間も多いです。
今回の企画記事では、来迎寺の住職にお話をうかがいながら、情報過多の時代だからこそ見つめ直したい「SNS全盛時代の学び」について考えを巡らせる内容となっております。
キーワードは、かつて地域の学びの場であった「寺子屋」。
その精神は、現代にどのように生かせるでしょうか。

(広報(以下:広))
本日はよろしくお願いいたします。

(住職)
よろしくお願いします。

(広)
今日は寺子屋のキーワードで、「SNS全盛時代の学び」についてお話を伺えればと思っているのですが、このテーマをご提案したのは、これまでの取材の中で、住職のお話から自然と「学び」や「寺子屋」という言葉が何度も出てきていたことがきっかけでした。
その言葉の背景を、改めてじっくり伺えますか。

(住職)
なかなかいいテーマですね、寺子屋。
最近は来迎寺でもいろいろなイベントをやっていますからね。

(広)
来迎寺のいろいろなイベントを見る中で、「寺子屋」と名乗ってはいなくても、すでにその精神を体現されているように感じていました。
とはいえ、いわゆる“本格的な寺子屋”を運営しよう、という構想があるわけではないんですよね?

(住職)
はい、ガチのビジョンはほとんどないですね。
なんか、いつも崇高なことを考えているように見られがちなんですが、残念ながら私は皆さんが思っているほど立派なことを考えているわけではないんです(汗)。
「こんな方向で何かできたらいいなぁ」くらいのざっくりとした想いはいつも持っていますが、具体的な計画や構想があるわけではないんです。

(広)
今、定期的に開催されている音楽イベント「来迎G」や「寺ヨガ」は、寺子屋の思想がベースにあったりするのでしょうか?

(住職)
うーん、それらの催しは「寺子屋」というのとはちょっと違うかもしれませんね。
たしかに来迎寺が会場の催しですけど、寺子屋的な理念があって始めたのではなくて、ご縁があったから始まったというだけなんです。

(広)
そうなんですね。
でも、「来迎G」は過去2回開催されましたし、寺ヨガは1年以上毎月開催されていて、しっかり続いていますよね。

(住職)
はい。来迎Gは来場者が増えてきたので新たな駐車場を検討するくらいになっていますし、寺ヨガもなんだかんだで最近は毎回10名以上の方が参加されていて、なかなか好評なんです。
ひとつのコミュニティが形成されてきている感じもして、すごくいいと思っています。
どちらも、「寺子屋」というのとはちょっと違うかもしれませんが。

(広)
ここで改めて、寺子屋についてお聞きしたいと思います。
昔、寺子屋が広まった背景や、どのような経緯で生まれたものなのか、住職の視点で教えていただけますか?

(住職)
私も、ちゃんと調べたわけではないんですけどね。
江戸時代って、そもそも今のような「学校」はなかったじゃないですか。だから自然とお寺に地域の子どもたちが集まってきて、字の読み書きやそろばんを教えたり、そういう学びの場になっていたみたいなんです。

正式な学校というよりも、子どもたちが「集まったから教える」みたいな、すごく自然な流れだったんじゃないかなと。

(広)
浄土宗として組織的にやっていた、というわけではないんですか?

(住職)
そういうものではないと思います。
宗派関係なく、全国のお寺で自主的に行われていたんじゃないでしょうか。すべてのお寺で、というわけではないでしょうけどね。

(広)
住職のご実家のお寺も、そういった歴史があると伺いました。

(住職)
そうなんです。
私の長野の実家のお寺には、明治の頃、正式な学校が置かれていた時代があったようなんですよ。いまも山門横に「東山田学校跡」の碑がありますよ。

■住職の実家のお寺。山門の横には、今も「東山田学校跡」の碑が残っています

(広)
お寺が学校を兼ねていたんですか?

(住職)
そうです。
明治の一時期、学校が併設されていたそうです。聞きかじりですけど。

(広)
それはまさに、本当の寺子屋ですね。
地域の子どもたちが、お寺で学ぶという。

(住職)
そうですね。
だから、寺子屋って学校みたいな存在なんだろうなという感覚は、昔からなんとなくありました。

今は正式に学校がありますけど、「学校では学べない学び」って確実にあると思うんです。学校教育ってどうしても形にはまったものになりがちですし。

昔の寺子屋は先生が一人ではなくって、近所のお年寄りがふらっと来て教えたり、そういう飛び入りの先生もいたと思うんですよね。当時の住職もいろいろ教えていたんでしょうね。
そういう学びの形はこれからの時代、また必要になってくるんじゃないかなって。

(広)
理想的ですよね。

(住職)
ただ、その理想をそのまま現実化するのは困難です。とてもじゃないけど住職一人でできることではないですし、地域をはじめとした協力が必要になります。

たとえば、私が通っている香取道場の三﨑会長とも「お寺でそういう場ができたらいいですね」という話をよくしていまして。
子どもたちを集めて武道や学びを通して心身を成長させる、そういう場所を。

(広)
武道は、まさに寺子屋の現代版の「学び」に合っている感じがします。

(住職)
そう思います。
実は来迎寺でも、今の70代、80代くらいの方が子どもの頃に、来迎寺で林間学校や柔道教室をやっていた時があったみたいなんです。

(広)
ということは、条件がそろえば令和の時代に柔道教室が復活する可能性も……?

(住職)
いま本堂で柔道やったら床が抜けますね(笑)。

(広)
来迎寺の本堂貸出しサービスの状況はいかがですか?

(住職)
本堂貸出しサービスは、現状としては年に一回あるかどうかという単発イベントが中心なので、寺子屋とは性質が違いますね。
寺子屋的な機能をつくるなら、「継続する」ことが大事だと思っています。

(広)
なるほど。

(住職)
継続性という意味では、毎月1回ですが寺ヨガが現状では一番寺子屋の形には近いかもしれません。
寺ヨガは毎回来てくれる方もいて、自然とコミュニティができてきているんです。
ヨガの後は皆さんで談笑する時間があったりして。

ヨガを「学ぶ」だけじゃなくて、ヨガ教室を通して人と人がつながっていく。
そういうコミュニティが自然にできあがってきているのが、すごくいいなと思っています。

(広)
理想的な広がり方ですね。

(住職)
「来迎G」にしても「寺ヨガ」にしても、そこで感じるのはみんな実は普段からお寺に行きたいという気持ちを持っている、ということなんです。
いままでお寺に行きたくてもきっかけがなかったっていうだけで、実際は「寺離れ」なんて起きていないんですよ。

人が集まれる催しをやると、ちゃんと人は集まるんですよ。
だから、私としては「寺子屋うんぬん」というよりも、まずは、”お寺に来てもらうきっかけをつくること”が、大事なんじゃないかなと思っています。

(広)
形としての寺子屋ではなく、「気軽にお寺に人が集まって楽しく学ぶ」というコンセプトや解釈を、現代に蘇らせるということですよね。いわば、現代版寺子屋として。

(住)
そうですね。
寺子屋の「精神性」みたいなものは、甦らせられると思うんです。

もちろん、江戸時代の寺子屋が、実際にどうやって運営されていたのかをまずはきちんと調べる必要はあると思いますけど。
当時の形をそのまま今の時代に再現することが目的ではないです。

(広)
「寺子屋の精神性を蘇らせる」。
とてもいい言葉だと思います。
当時の運営方法をコピーするのではなく、精神性を今の時代に合わせて生かすという考え方は、現代の感覚にも合っていますよね。

(住職)
そう思います。
あと、寺子屋っていうと子どもメインと思われてしまいますが、大人でもいい。なんなら今の時代、子どもより大人の方が学ぶ必要があるような気もしています。

お寺にみんなで集まって何かを学んでもいいし、ただ交流するだけでもいい。
極端な話、なにか特別なことをしなくても「お寺で一緒に過ごす」だけでもいいと思うんですよね。
だからこそ、集まれる「きっかけ」はこれからも作っていけたらいいなと思っています。

(広)
お題や企画があって集まる、というよりも、ただ集って同じ空間で過ごす。
その中で、自然と会話や気づきが生まれていく。

まさに、それこそが「SNS時代に必要な学び」なのかもしれませんね。

(広)
SNSの話が出ましたが、住職ご自身、SNSをとても上手に活用されていますよね。

(住職)
上手かどうかは分かりませんがね、嫌いじゃないですね。
敬遠している人もいますが、今の時代せっかくこういうツールがあるんだから有効な範囲でうまく使えばいいと思っています。
良い使い方をすれば、それはそれで活動の武器になりますから。

実際、来迎Gや寺ヨガなどもSNSを見て来てくださる方が多いです。

(広)
お寺界隈では、SNSを使っているところは多いんでしょうか?

(住職)
積極的に使っているお寺もありますし、まったく使っていないところもありますね。
使いこなしているとなると半分もないのではないでしょうか。

私自身は新しいものに抵抗がないタイプなのでわりと早くから使ってきましたし、それなりに活用している方だとは思います。

(広)
ときどき住職自身も顔出ししているのがすごいなと思います。顔を出して発信しているお寺さんも増えてきていますよね。

(住職)
お寺にかぎらず、会社であれ組織であれ、代表者の顔が見えるのは安心感や親近感の意味でも必要だと思っています。
お寺の場合、行事や情報だけを発信するんじゃなくて、住職自身の姿や顔も見せていくことは大事だと感じていますので。

(広)
ただその分、覚悟も必要ですよね。

(住職)
そうですね。
覚悟がなければ人を惹きつけることはできません。
SNSでの顔出しは最初は抵抗あると思いますが、一度顔出ししてしまえばあとはどうこうということはありません。

(広)
一方で、SNSのつながりには落とし穴もありますよね。

(住職)
ありますね。
SNSは本当に使い方次第です。

間違った使い方をすれば、炎上したり人を傷つけたりもする。
「イイネ」の数を気にして頻繁にSNSをチェックしてしまうのも無意味です。たまにやってしまいますが(汗)。
だからこそ、発信する場合は「単に目立つ」のではなく、「何を伝えたいのか」という軸を持って使うことが大事だと思います。

それから、ここが一番大事なのですが、SNS全盛時代でもやっぱり”リアルなコミュニケーション”は不可欠だと感じています。

(広)
SNSだけのつながりだと、どこか信用しきれない部分もありますよね。

(住職)
そうです。
SNSは、「リアルな関係性を補うもの」として使うのが一番いい。

最初にSNSでつながるのか、もともとリアルの知人で、のちにSNSでつながるかの順番はいろいろあると思いますが、実際に顔を合わせて同じ場所で時間を共有する機会は持ち続けることが大事だと思います。

(広)
そう考えると、お寺は強いですよね。
リアルな「場」がある。

(住職)
実際に行ける場所がある、というのは安心感があると思います。

ーー「集まる理由」を、お寺がそっと用意する

(広)
最後に「寺子屋の知恵を現代に生かすヒント」についてお聞きしたいです。

(住職)
そうですね。
先ほどの内容と同じ方向にはなりますが、一言で言うと、SNSやAI時代における「実在コミュニティの再構築」じゃないでしょうか。

今の時代、リアルに集まれる拠点って、実はあまり多くないですよね。
公共・民間のコミュニティスペースはいろいろありますが、たとえばコロナの最中は全部閉鎖してしまっていました。
コロナの最中は、意外にも来迎寺をお参りしている人が多かったんです。皆さん行ける場所を探していたんですね。だから、来迎寺はコロナ中も閉鎖や制限をしませんでした。

お寺や神社は昔から「人が集まる場所」だったわけで、場合によっては非常時にこそ存在感が増すのかもしれない。
これからもその役割は担えると思っています。

(広)
SNS全盛期だからこそ、リアルな場の価値が高まっている感じもします。

(住職)
そうですね。
SNSとかオンラインサロンとかでつながった人たちが、実際に会う「オフ会」みたいなものもありますよね。結構盛り上がっていて何ならそっちがメインみたいな感じも受けます。
なんだかんだ言っても、結局みんなリアルに交流したいんですよ。

これからは生成AIも含めて、デジタル化がますます進んでいくんでしょうけど、「人と人が直接関わる場」や「体験を共有する時間」が、より貴重になっていくんじゃないかなと。

(広)
お寺としては具体的にどんな場が考えられますか?

(住職)
引き続きお寺に来てもらうための催しや、気軽に仏教を体験できるものを模索していきたいと思います。
法事や葬儀がAI化することはないとは思いますが、そこに胡座をかくつもりはありません。問題意識は常に持っていたいと思います。

「寺子屋」と銘打って、さあみんなで学びましょう! というと身構えてしまいますよね。
今やっている寺ヨガのように、そこに集まった人たちが自然に交流をしてコミュニティが形成されて、さらにそこから何かが生まれていくという形ができればいいなと思っています。

(広)
集まるハードルを下げる「きっかけ」が大事なんですね。

(住職)
そうです。
例えばほかにも、お寺としてできそうなものは写経会や精進料理の会みたいなものでしょうか。みんなで学んだあとにお茶を出して話す時間をつくったりとかでしょうかね。気軽な雰囲気でいいと思うんです。

「学びましょう!」という目的のある場をつくるより、ちょっとした集まりだけの”場”を用意してあげる。
現段階の着地点としては、それが寺子屋から見えるヒントなのかな、と。

(広)
そこから、自然に学びにつながっていく。

(住職)
そうですね。
そこから仏教の教えに触れることもできる。

あとは、お寺でデジタルデトックスのような取り組みも構想としてはあります。
少しずつ、形にしていけたらいいなと思っています。

(広)
今日は、たくさんのお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
「寺子屋」という言葉を通して、学びや人のつながりについて、改めて考えるきっかけをいただいた気がします。

(住職)
こちらこそ、ありがとうございました。
こうしてお話ししながら、私自身も考えを整理する時間になりました。

(広)
またぜひ、いろいろなお話をうかがわせてください。

(住職)
はい。いつでもどうぞ。

(終)


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