来迎寺ロゴ

ホーム  > 来迎寺だより

来迎寺だより

2024年01月03日(水曜日)

【来迎寺だより】来迎寺住職対談第2回 「書道家 そうせつ氏」後編

来迎寺だより|住職とそうせつ氏対談(後編)

住職と来迎寺に縁のある方々と「人々の交流」をテーマに対談する企画記事です。

第2回目のお相手は、来迎寺の「今月の書」でおなじみの書道家そうせつ氏。
後編は、そうせつさんから住職に聞きたかったことを中心に対談が進んでいきました。
お坊さんという職業とキャリアパスについて、お寺を辞めたいと思ったことは?などの踏み込んだ内容や、仕事との向き合い方、人との対話など、コミュニケーションに対する考え方など、過去・現代・未来に想いを巡らせた希望ある話が展開されました。

後編をお届けします。(前編はこちら)

***

■ 後編の目次

<そうせつさんから住職へのインタビュー>
1)お伝統と現代が交差する「お坊さんの多様なキャリアパス」
2)仏の道、人の心「住職が明かす、お坊さんの心の奥底」
3)住職が語る「心に残っているエピソード」
4)信頼と責任と丁寧であること「今も昔も変わることないお寺の仕事との向き合い方について」
5)今後の来迎寺の未来展望「地域へ開かれた場所へ」
6)お寺での夏の思い出と生き方の探求「昔は、夏休みに民間学校として来迎寺で宿泊する行事があった」
8)コミュニケーションについて考える「心地よい対話の秘訣」
9)哲学的な思考が求められる時代「夢中になれる何かを持っていると、他者とのコミュニケーションも楽しめる」

■ プロフィール

<住職>
来迎寺住職。日本スリランカ仏教センター蘭華寺理事長。

<そうせつ>
書道家。千葉県東庄町葬儀社「有限会社二木屋 セレモニーホール愁彩苑」取締役。東庄町町議会議員。

1)伝統と現代が交差する「お坊さんの多様なキャリアパス」

【そうせつ】
以前、メールなどでお聞きしたこともあるのですが、ご住職はお寺のご出身で、大学で僧侶の資格を取られ、その後はずっと僧侶の仕事をされているんですよね。お寺やお坊さんであることを辞めたいと思ったことはあるのでしょうか?

【住職】
本気で思ったかどうかは別として、ないといえば嘘にはなりますね。

【そうせつ】 
お坊さんの仕事から抜け出して、何か別のこと、新しいことに挑戦したいな、とか。

【住職】
それはありますね。生まれがお寺だったので、自然な流れで大学に進学して浄土宗僧侶の資格を取得し、その後大学院に進学しました。大学院卒業時に来迎寺にご縁をいただきまして、まずは一年間副住職となりました。そのまま住職となって今に至りますので、一般の会社のような場所での勤務経験はありません。大学院の頃に、会社でアルバイトをしていた経験は少しありますが。
なので、一般社会での仕事などへのあこがれみたいなものは何となくありますね。個人的には経営などには興味がありますね。まあ、住職もお寺を経営しているという言い方はできますが。
 
【そうせつ】
そうですか、なるほど、なるほど。

【住職】 
営業や商売にも興味はあります。ただ、お寺を実際に辞めてやろうとまではいかないですけど。ちょっとやってみたいな...くらいに思うことはたまにありますね。

【そうせつ】
中にはお坊さんをやりながら他の職業を兼業する方もいらっしゃいますよね。

【住職】
もちろん、そういう方もいます。お坊さんをやりながら他の職業を兼業すること自体は問題ないですので。お坊さんで会社経営している人もいますし、お坊さんでお医者さんとかもいます。政治家もいます。国会議員もいらっしゃいましたよ。

【そうせつ】 
要は僧籍を持っていながら、別の職業、例えば政治家などもできるわけですね。

【住職】
そうです。兼業自体は全然問題ないんですよ。ひと昔前は、学校の先生や役場の仕事などを兼務しているお坊さんは多かったと思います。私の祖父もお坊さんでしたが、実家のお寺の住職と学校の先生をやっていました。ただ、どうしてもお寺の仕事は不規則ですから、今の時代で兼務するのは難しいようです。

【そうせつ】
葬儀などの仕事は急に入りますからね。

【住職】
今の時代、会社や役所勤めで急に明日明後日休みますとか、なかなか難しいでしょうからね。

【そうせつ】
そうですよね。 役所や学校といったお坊さんと同じようなジャンルの職種の兼業はイメージできますが、全く異なるジャンル、例えばIT会社などはNGとか、そういったルールはありますか?

【住職】
NGということはないです。例えば大学を卒業してお坊さんの資格を取ったあとに、一般の会社に勤めている方は多いですし、例えばそれがIT会社だったらその経験を生かしたお寺運営もできるわけです。

2)仏の道、人の心「住職が明かす、お坊さんの心の奥底」

【住職】
一般社会と同じで、お寺をやっている中でもいろいろなことがあります。僧侶といっても生身の人間ですから、落ち込んだりもします。ちょっとした行き違いで人とトラブルになったりすることもあります。理不尽に感じることもちろんあります。先ほどの話の続きになりますが、そんな時は、本気ではないにしてもお寺を辞めてしまいたいと思うこともあります。
あとは、土日が休みとか、ゴールデンウイークとかお盆休みとかには単純にあこがれますね(笑)。なんの気兼ねもなく自由に何日か旅行なども行ける生活にはあこがれます(笑)

【そうせつ】
やっぱりそうですよね。よく分かります。
あとは、お坊さんって独特のイメージがあります。一般の方が持っているお坊さん像みたいなのがありますよね。

【住職】
聖職者みたいな、崇高なイメージですかね。

【そうせつ】
はい。ですので、言動や行動には気をつける必要がありますもんね(笑)。 特に制限されているわけではないんでしょうけれども、なんとなく世間の目があるんだろうなと感じます。
 
【住職】
それは確かにありますね。

【そうせつ】
何故こんなことを言うかというと、私も議員になってからは、スーパーでお菓子ばっかり買うとかできなくなっちゃって(笑)。

【住職】 
それはありますね(笑)。私も地元ではあまり飲みに行けないです(笑)

【そうせつ】
確かにそうですね。橋を渡って神栖でとか(笑)。

【住職】
学校の先生や警察官も同じだと聞いたことがあります。聖職者や正義を生業にしている人は、同じような部分があるかもしれません。いろいろな意見はあるかもしれませんが、私は聖職者の仕事をしている以上は、イメージを維持することも仕事の一部だと感じています。お坊さんも同じです。
ですから、法事や葬式で檀家さんや業者さんと接する際は、それなりに丁寧な対応を心掛けているつもりです。世の中にはいろんな方がいますので、心の中ではムッとすることももちろんありますが。ただ、私自身は住職という仕事は自分には合ってるのかなとは思います。

【そうせつ】
それはすごくそう思います。うちの会社では、来迎寺さんはすごくやりやすいっていって、なんかいい意味でほっとするというか(笑)。

【住職】 
それはありがたいです(笑)

【そうせつ】
やっぱりお人柄というか、お仕事がしやすい、コミュニケーションがとりやすいことって大切だなって。葬儀社としても、穏やかなお坊さんの存在は非常にありがたいです。

【住職】
お坊さんも生身の人間ですから、性格はもちろん、コミュニケーションの取り方などはいろいろあるでしょうね。僧侶も聖職者ですが、最近では時代に合わせて先進的な活動をされるお寺や僧侶も増えてきていますよね。僧侶のイメージも昔ほど厳格なものではなくなってきているように感じています。
私の場合は仕事以外の交流も大切にしていて、檀家さんや業者さんや地元の方とも食事に行ったりもしますし。そういうコミュニケーションも大事だと感じています。

【そうせつ】
地域の方との交流が深まりますね。

3)住職が語る「心に残っているエピソード」

【そうせつ】
お坊さんをやっていて、特に印象に残っているエピソードや、檀家さんやお客様からかけられた感動的な言葉はありますか。

【住職】
うーん。エピソードとしては、やはり葬儀の場面が多いでしょうね。本当にいろんな方を見送るわけですよね。小さい子供さんの葬儀なども、何度か勤めさせていただきました。それはやはりつらい瞬間です。事故で亡くなった方や若い方の葬儀もあります。そういう場合はいつも以上にご当家とのやり取りには気を使いますね。
「いい葬儀でした。葬儀をやって良かったです」「気持ちが落ち着きました」などのお言葉をいただいたときは有り難いと感じます。

あとは、浄土宗の教えは葬儀に合っていると思います。事故で亡くなった方のご家族からご連絡があり、「浄土宗の教えなら救われそうだから葬儀をお願いしたい」と言われ勤めさせていただいたこともあります。もちろんすべての宗派の教えはそれぞれ素晴らしく有難いものですが、葬儀の場面では浄土宗の教えは特に有難いと感じています。

遠方で葬儀や法要を勤めさせていただいた方が、来迎寺にわざわざご挨拶に来てくださることもあります。来迎寺のホームページをご覧になり、立派で雰囲気が良さそうだからお参りしたくなったといってお越しになられたり。とても有り難いと感じる瞬間です。
【そうせつ】
葬儀をされたご当家から、来迎寺さんで良かったという声をよく耳にするのですが、ご住職ご本人に直接そういったことを伝えてこられる方もいらっしゃいますか?

【住職】
そうですね。ありがたいことに、二木屋さんはじめ地元の葬儀社さんからのご紹介で葬儀のご依頼をいただくことが増えています。当然ながら、来迎寺を信頼してご紹介くださっているわけですから、それに対して私もお応えしていきたいと思っています。いい加減な仕事をしてしまうと、葬儀社さんの顔もつぶしてしまいますからね。そういった責任も考えて、慎重に対応させていただいています。
おかげさまで、来迎寺で良かったというお声をご当家さまから直接いただくこともありますし、葬儀社さんを通してそういったお話しをいただくこともあります。大変ありがたいことだと思います。

ただ、葬儀の仕事を勤めさせていただく中で、あまり故人や当家に対して必要以上の感情移入をしないようには気を付けています。以前、若い方の葬儀を勤めたときに、故人への感情が入ってしまい私自身がその後少し精神面の調子を崩してしまったことがあったんです。

なので、それ以降は心を込めても感情面としては入りすぎず淡々と粛々と法要や葬儀を執行するというスタンスに切り替えました。どうしても葬儀のような悲しみの場に出入りしていると、こちらも少なからず波長の影響を受けますからね。ある葬儀社スタッフさんも、感情を入れすぎず「粛々と寄り添い勤める」ということを意識していると言っていましたね。
【そうせつ】
今現在、本堂にてセミナーやイベントの開催などされていると思いますが、これからお寺をどういった場所にされていきたいとお考えですか?

【住職】
来迎寺の特長は、環境、歴史、建物の風格などです。これらを活かして、本堂の各種イベント貸し出しを始めました。歴史や自然環境はお金では買えないものですから、これらを強みにした運営をしていきたいと考えています。お寺を檀家さんの葬儀や法事だけのものではなく、広く地域や一般の方々が寄り集まれる場所にしていきたいですね。

【そうせつ】
私も東庄町の郷土史研究会に参加していて、地域の歴史を学んでいます。その中で来迎寺さんの名前が何度も登場します。来迎寺さんはいつ頃から存在していたのでしょうか? 元々は平山(東庄町平山)にあったと伺っていますが。

【住職】
そうです。元々は平山にありました。そこにあったお堂を今の貝塚の地に移してお寺を開いたと聞いています。来迎寺の開山は西暦1198年ですから800年以上前、鎌倉時代の話ですね。
【そうせつ】
もともと東庄町平山にあり、その歴史が詳しく書かれていることから来迎寺さんは由緒あるお寺なのだと感じますね。私は来迎寺さんのことを知っていましたが、東庄町の人たちはあまり来迎寺さんのことを知らないんですよ。通りからは見えないですから。一歩中に入れば、「わぁ、すごい!」となりますよね。本堂に入ると、特有の空気感があります。歴史の重みを感じることができますね。

【住職】
お寺に来る方はみなさんそう言いますね。県道からだいぶ奥まっているので、お寺があるのは知っていたが、こんなに立派だとは思わなかったと。なので、是非多くの人にお越しいただきたいですね。檀家さんももちろんですが、広く様々な方にお寺を知ってもらい、活用していただきたいと思っています。

昔は寺子屋というのがありましたよね。寺子屋は地域の学校として機能していました。今後は、お子さんたちや地域の方々にも知ってもらえるような取り組みも思い描いています。まだ具体的な計画はありませんが、これからのお寺のイメージや構想はいつも考えていますね。
【そうせつ】
小学生や中学生くらいの頃、お寺を訪れるのも面白そうですよね。
  
【住職】
今の70代や80代の方々は、昔小学生の頃に来迎寺で夏休みに宿泊学習を行ってい たそうです。当時の住職さんの話を聞いたり、紙芝居を楽しんだり、夜は肝試しをしたりしたそうですよ。真っ暗な中、お墓の方を歩いたりしたそうです。年配の方々はみなさん楽しそうにその時の話をするんです。子どもの頃の体験は一生涯残るんですね。今の時代だからこそ、そういう行事もいいかもしれません。

【そうせつ】
確かに、私の生徒でもそういうことをやりたいと思っている人はいると思います。

【住職】 
お寺に寝泊まりして何日か過ごすのは、それだけで良い経験になるでしょうね。

【そうせつ】
お寺は独特な雰囲気がありますね、特に夜になると。子供たちにとっては怖いと感じるかもしれませんが。

【住職】
やはり、子供の頃から親しんでいた地域のお寺だからこそ、大人になってからも大切にしようとなるはずなんです。こういう農村地域であるからこそ、そういう結びつきがあるのかもしれません。

【そうせつ】
そうですよね。それこそ都市部の方なんかも「来たい」って言って、興味を持つ人がいるかもしれないですよね。

【住職】
最近ではご縁が広がってきて、東京の方々がグループでお見えになることもあります。そういうときに、お寺の説明をしたりお話しをさせていただくこともあります。いいところですねとか、癒されますねという声もたくさんいただいています。あまりほめる方には「じゃあ住んでみますか?」と聞くと、「えっ、うーん」となりますが(笑)。

【そうせつ】
仏教についてのお話などをお坊さんから聞くことは、本で読むよりも心に残るんじゃないでしょうか。いろんな宗教の中で、仏教に対して悪く書く人はほとんどいないですよね。キリスト教や一神教の宗教では、対立が起きることがありますが、仏教は平和な哲学を持っていると感じます。

【住職】
仏教は宗教というジャンルにはありますが、要は生き方が説かれているわけですからね。お釈迦さまの教えは「生き方」なんですよ。これは前回の蘭華寺のパンニャラーマ老師との対談でも話題になりました。宗教と言うと堅苦しい信仰の世界のように見えるかもしれませんが、仏教は「生き方」を説いているんです。

【そうせつ】
確かにそうですね。日本の仏教はいろんな宗派に分かれていますが、元をたどれば一つに集約されるんですよね。
【住職】
いろいろな宗派がありますが、教えを辿ればお釈迦さまにたどり着くわけですね。
それから、私は常々お寺こそ情報発信が必要だと感じています。お寺には、仏教や宗派の教えや、お寺の歴史など、膨大なコンテンツがあります。発信しないのはもったいないです。

ホームページがあるお寺もまだまだ多いとはいえない状況です。ホームページがあっても、「お葬式承ります」とか「墓地や永代供養を受け付けています」といった内容が中心で、仏教や宗派の教えやお寺の歴史などをきちんと発信できているお寺のホームページが少ないのが現状です。
ですので、来迎寺のホームページではそういった情報も発信していきたいと考えています。その一環として、この対談も行っているというわけです。そうせつさんの「今月の書」も大切なコンテンツのひとつですね。

【そうせつ】
お役に立ててありがたいです。まさに書道も中道的な、仏教的な要素があるかもしれませんね。何かそうした考え方は必要だなと思っていまして。極端な書が多い中で、ニュートラルで自然な書が少ないように感じます。仏教の要素を書に取り込むことができたら素晴らしいと思いますね。
【住職】
この対談のテーマは「人との交流」ですので、それに関連してひとつお話できればと思います。そうせつさんが普段コミュニケーションや、人との付き合い方で意識していることがあれば教えていただけますか?

【そうせつ】
そうですね。自分が言ったことで相手を傷つけないように気をつけているというのはありますね。あとは、他の人が言った言葉に何か違和感を感じたときには、それを放置せずに相手の言葉の真意や本音について考えることは多いですね。

【住職】
それは、やはり相手に興味を持っているということですね。

【そうせつ】
そうですね。私は人とのコミュニケーションが好きなんです。相手と2人での対話のほうが話しやすいというのがありますね。もちろん、聞き手に回ることも大切ですが、しっかりとした対話、言葉のキャッチボールができることが理想です。
ご住職はいかがですか? ご住職はコミュニケーション力が高い印象があります。
 
【住職】
私はコミュ障ですよ(爆笑) 。でも意外に、社交的だと言われたりコミュニケーションが得意ですねと言われることがありますが、 自分はあまり得意だとは思っていません。ただ、人と会ったり話をすることは好きで、初対面の人やどんな方でもでもわりと無理なく話せる方だと思います。

【そうせつ】
それは自然にやられているんですね。

【住職】
そうですね。私は結構聞く方です。自分であれこれ話すより、相手から話を引き出すよう心がけていますが、それほど狙ってやっているわけではありません。自然にやっているという感じですかね。

【そうせつ】
なるほど。だからみんなが話したがる環境を作っているのかもしれませんね。お坊さんとしては珍しいかもしれませんね。お坊さんは一般的に説教くさいというイメージがありますが、ご住職はそうではないですね(笑)。

【住職】
お寺で接する人はほとんどが年上の方なので、その影響もあるかもしれません。将来、自分が年をとったらどうなるかはわかりませんが。案外説教くさくなってしまうかもしれません(笑)
【そうせつ】
人と接する際に気をつけていることはありますか?

【住職】
先ほどそうせつさんが仰っていたのと同じで、相手の気分を良くするようにしています。なので言葉や話題には注意しています。そうしていると、結構いろんなことを話してくれる方が多いですね。ここだけの話なんだけど住職だけには言いますね、みたいな話をされることも多いんです。自分でも知らず知らずのうちにやっているのですが、これが自分の長所なのかもしれないなと思います。自分でいうのもなんですが。

【そうせつ】
相手からしゃべりを引き出す才能があるんですね(笑)。
【住職】
最近、SNSをはじめとするインターネットの世界での時間が増え、若い人たちが他人の評価を気にしすぎて自分を表現できないというコミュニケーションの悩みを目にすることがあります。そういったことについては、どう思われますか。

【そうせつ】
そうですね。私自身も他人の発言に敏感になることがありますが、コミュニケーションは好きですし、自分の話ができないと感じたことはありません。もしかすると、私なりの「話のネタ」を持っていることが、自分の自信にもなり、長時間話すことができているのかもしれませんね。

【住職】
例えば、書道の話とかですね。

【そうせつ】
はい、そうです。おそらく、自分に自信を持ち、ある程度の自己評価を持っていると、ネタに困ることもなく話せるようになります。 私も、自分を理解してもらいたいという気持ちはあります。そのために、まずは何か伝えたいことがあるというのがコミュニケーションにおいては重要だと思います。

それと同時に、考えることが私にとっては重要で、日常の中で考えることがクセになっているんです。他人との付き合いが進むにつれて、その人の言葉やシーンを思い返して理解したりすることで、その人自身に近づけるようになるのではないでしょうか。考えることは、今の時代に最も重要だと感じています。
【住職】
書の場合も、言葉の意味まで考えて書いている人と、単に字をデフォルメして書いているだけの人では違いが出るのでしょうね。

【そうせつ】
そうだと思います。言葉では難しいですがあえて言うと、浅い書と深い書があるように感じます。私は、うまく書こうとか、どう見せようかというよりも、書に潜む哲学や書の役割について考えることが重要だと思っています。その答えが見つからなくても根気よく取り組む姿勢が、深い書につながっていくように思います。

【住職】
そうせつさんの書は、見た後も印象に残りますね。深く考えているからこそ、印象に残る書が生まれるのでしょう。

【そうせつ】
そう感じていただければ嬉しいです。うまく書くことはもちろん大切ですが、技術に頼りすぎると面白みがなくなります。自然体で残りかすのように残るものが個性だと思っています。
最初から個性を演出しようとすると作り物になりがちで、それは本当の個性ではないと感じています。最終的には、残りかすのように凝縮され、どうやってもその人らしくなるものが本物の個性だと思います。ただ、今の時代はそういうことに逆行しているように感じますね。

【住職】
年を取ってからようやく気づくということもあるのでしょう。今までも感じていたのですが、改めてお話しを伺って、そうせつさんは人生の到達が速く、普通の人であれば50歳になる頃にたどり着くところに、早くも20代半ばで到達したような印象を受けています。

【そうせつ】
いいえ、そんなことは全くありません。若い人それぞれの考えがあり、もちろん年を取ると考えも変わるでしょう。ただし、芸術や文化の良さは年齢に関係なく感じることができます。
例えば、私は26歳で亡くなった金子みすゞの詩が好きで、その詩には何十年もの人生経験が反映されているように感じます。
人生経験が長ければ良いというのではありません。年齢に関係なく考えることが大切です。今の時代においては考えることが少なくなっているように思います。 学校でも答えをすぐに与えてしまう傾向がありますが、もっと考えさせることが必要だと感じます。

【住職】
そのためにも、学校以外にそういった学びや経験のできる場所、例えば昔の寺子屋のような場所が必要だと感じますね。お寺がそういった場所になれれば良いなと、改めて思います。
本日はとても有意義な対談となりました。ありがとうございました。

【そうせつ】
こちらこそ、ありがとうございました。

(監修/来迎寺住職、取材・編集/Communication Smoothie)


広報担当(取材・執筆者

来迎寺の広報活動のお手伝いをしているコミュニケーションスムージーです。広報業務(情報発信)代行業、広告・宣伝物のデザイン業を行っています。