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2022年08月12日(金曜日)
■記事テーマ「お寺とフィーリング」 ■編集/コミュニケーションスムージー 2022年8月12日
来迎寺便りの特別編集記事。“シリーズ「お寺はあなたを待っています〜新時代。お寺時間のすすめ」“
全6回にわたってコラム形式でお届けしています。
前回は森林について書かせていただきましたが、今回は竹林に焦点を絞ってお話しようと思います。
皆さんは竹林と聞いてどんなイメージが頭に浮かびますか?すがすがしい、まっすぐに伸びる⻘竹を思い浮かべる方もいれば、少し薄暗くうっそうとした竹やぶをイメージする方もいるかもしれません。
来迎寺の周囲にも竹林があります。山門から一般道に向かって伸びる参道脇の竹林は、来迎寺の象徴的な場所を形作っています。
1198年に明恵高弁上人が来迎寺を開山された当初は、現在のような竹林は存在しませんでした。そのことについては後ほど詳しくご説明しますが、それでは当時はどのような風景だったのでしょう。
実はこの地に来迎寺ができる前は、この辺一帯は木々が生い茂る原生林でした。お寺はその原生林を切り開いて建てられたのです。その原生林の中に、楠の大木があり、それを切って6体の観音菩薩像(仏像)が作られたと言われており、この地域に大切に保管されています。その一つ、楠木の一番根元で作った「観音菩薩像」通称 「もとき観音」は、来迎寺の本堂に安置されています。
話題を今回のテーマの竹に戻しましょう。竹は日本の象徴的な植物の一つですが、種類は世 界で1200種、日本国内でも600種ほどあるそうです。竹は弾力性や強度があることから、古来から生活用具などにも使用され、時代を遡れば縄文時代のものもあるそう。
しかしながら日本古来からある種類は実はごくわずかで、その多くが中国から、平安時代ご ろに輸入されたものと言われています。当時天皇や貴族は大国である中国の文化を模倣することに夢中になっており、竹もまた貴族の間だけで栽培されていたと言います。
平安時代に書かれた『竹取物語』。その中で竹取の翁が竹の中からかぐや姫を見つけ、また竹の中からお金が出てくることで裕福になったり、その後、貴族たちがかぐや姫に求婚しに来るというあらすじも、当時の竹の認識と関連しているような気がしますね。
その中国から伝わった竹が、日本で徐々に一般的なものになってきたのは16世紀の安土桃 山時代から江戸時代頃にかけてです。 来迎寺を取り囲む竹林も、恐らく100年から150年ほど前の江戸か明治時代ごろから この地に生息してきたと考えられています。
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かなり時代を遡ってしまいましたが、原生林を切り開いて来迎寺を開山された明恵高弁上人が、現在の竹林をご覧になられたらなんとおっしゃったでしょう。
みなさんもぜひ、来迎寺と竹と私たちの⻑い歴史に思いを馳せながら来迎寺参道で体感できる「非日常空間」を堪能しにお越しください。
▶︎第1回記事はこちら
▶︎第2回記事はこちら
【 ほっと一息つける場所で心に休息を 】
▶︎第3回記事はこちら
【森林の自然と空気感を全身に浴びる贅沢】
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【合掌の意味と、その心。なぜ人は手を合わせるのか?】